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最高裁判所第三小法廷 昭和61年(あ)64号 決定

本籍

名古屋市西区児玉一丁目一〇六番地

住居

名古屋市西区城西四丁目二八番三号

会社役員

松永尚市

昭和四年八月二一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六〇年一二月四日名古屋高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人浅井得次の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡満彦 裁判官 貞家克己)

昭和六一年(あ)第六四号

上告趣意書

被告人 松永尚市

右の者に対する所得税法違反被告事件について、上告の趣意は左記のとおりである。

昭和六一年三月四日

右弁護人 弁護士 浅井得次

最高裁判所第三小法廷 御中

第一点 原判決は、所得の秘匿方法につき、厳格なる証明をなさずして、これを認定しているが、これは憲法違反である。

原判決は、罪となるべき事実中に所得の秘匿方法を認定しているが、これを明らかにする証拠は存在しない。

成程、昭和四九年分について関係会社への貸付金が増加していること、昭和五〇年分について預貯金が増加していることは認め得るが、一方昭和四九年分では預貯金が減少しており、昭和五〇年分では関係会社への貸付金が減少している。従つて、右に述べた預貯金が減つた分が関係会社への貸付金となつたのか(昭和四九年分)、また関係会社への貸付金が減少した分が預貯金になつたのか(昭和五〇年分)、或るいは売上除外した金員がそのまま、これらの増加分となつたのか明らかではない。即ち、右認定事実は厳格なる証明に基づいてなされたものではない。

いやしくも「罪となるべき事実」として所得の秘匿方法を認定しようとするならば、厳格なる証明が必要である。これは、憲法第三一条に定める「何人も法律の定める手続によらなければ生命若しくは自由を奪はれ又はその他の刑罰を科せられない」旨の規定に違反するものである。

即ち、法律に定める手続としては、事実の認定は証拠によるべきであることが要請されているが(刑事訴訟法第三一七条)、右刑訴法にいうところの証拠とは、およそ何らかの証拠があればよいということではなく、厳格なる証明が必要とされているからである。

第二点 原判決は、所得の認定をするについて、疑わしきは罰せずとする大原則に反し、憲法違反がある。

逋脱事犯に於ける所得金額の認定方法は、行政処分における認定方法とはおのずから異なるものである。即ち、逋脱事犯に於いては、その反社会性のため罰金刑のみならず自由刑を科せられるのであつて、そのため所得金額の認定についても慎重にならざるを得ない。とくに、本件に於けるごとく、被告人の営んでいたマツナガ機工について公表帳簿が完備しておらず、これを裏付ける請求書・領収証・納品書等も不充分で、その収支の状況が記録上明らかにし得ない場合には、財産増減法による所得計算をなし、低い額によつて所得金額を認定すべきである。

蓋し、曖昧なる資料しか存在せず、実際の所得金額とは相当差異があることが明らかな状況で、曖昧な資料に基づき所得金額を算出することは疑わしきは罰せずとする原則に反するからである。この大原則は、憲法の保障する人権保障規定(第一一条・第一三条)、憲法三一条の規定により認められており、この原則に違反することは、憲法にも違反すると言わざるを得ない。

第三点 原判決は、所得金額の認定・犯意の認定について憲法の規定する罪刑法定主義・基本的人権の尊重の精神から導き出される責任主義の原則に反する憲法違反がある。

逋脱犯において認定される「所得金額」とは、犯意すなわち行為者において認識のある金額に限られるべきである。従つて、認識を欠く取引に係る勘定科目の金額は所得金額から除外されることになる。

逋脱犯が故意犯を本質として、かつ多くの取引によつて得られた収益によつて構成される所得は可分な性質を持つからである。

ところで、本件に於いて、事実認定上の問題はともかくとして、少なくとも清水孝に対する特別慰労金の支払及びスポートセンターに対する売掛債権の回収不能という事実並びに辻井輝夫に対する利息の支払については認定されているところであるが、その経費性・損金処理については否定されている。しかし、被告人は清水孝の銀行借入分を肩代わりすることにより、それが経費となると信じていたのであり、またスポートセンターから回収が出来ないと考えていたのであつて、この分が収入となるなどとは思つてもいなかつたのであつて、いわゆる「偽りその他不正の行為」により納税義務を免れるなどという認識はなかつたのである。さらに、辻井輝夫に対する利息の支払についても、これは経費となると考えていたものであり、不正の行為により税を免れるなどという認識はなかつたのである。

しかるに、原判決は被告人の売上金除外の指示とその売上除外金の受領の状況などから被告人に逋脱の認識があつた旨認定している。これは、いわゆる概括的認識説といわれるものであるが、逋脱税額算定の前提となるべき所得そのものが個々の取引によつて組成されている以上、個々の勘定科目のうち、行為者に所得(収入から損金・必要経費を差引いたもの)の存在することにつき認識を欠き、逋脱の犯意の認められない部分があれば、たとえ行為者において概括的な認識があつたとしても、その部分に限つては逋脱の犯意を欠き、逋脱所得より控除すべきである。すなわち、所得の隠蔽工作と拘わりなく、故意によらず、あるいは思い違い等により必要経費・損金が存在するものと認識し、過少申告をし、客観的には税を免れる結果を生じても、それは「偽りその他不正の行為」とは結びつかないから、不正の行為により免れた税額には含まれないと言うべきである。これは、責任主義の当然の帰結である。

以上のごとく、清水孝に対する特別慰労金の支払、スポート・センターに対する売掛残代金並びに辻井輝夫に対する利息の支払については経費若しくは損金として収入から控除すべきであつたのにも拘わらず、原判決は概括的認識で足りるとしていて、これらを控除していないが、これはいわゆる責任主義に反するものである。

この責任主義こそは、いわゆる「責任なければ刑罰なし」とする刑法上の大原則であつて、憲法が保障する基本的人権の尊重(第一一条、第一三条)及び憲法第三一条・第三九条の規定から導き出されたものである。従つて、原判決には、この点においても憲法違反が存するのである。

第四点 原判決は、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認が存在する。

所得税法は、免れた所得税額が金五〇〇万円を越えるときには、免がれた所得税の額に相当する金額を罰金刑として科することができる旨規定している(所得税法第二三八条)。

従つて、所得税額の算出の基礎となる課税所得金額の認定が誤つていれば、罰金刑の額が異なることになるし、自由刑の量刑にも影響するところが大であるから、この種事案の事実誤認は判決に影響を及ぼす事実誤認ということができる。

以下、原判決に於ける事実誤認について述べる。

一、マツナガ機工の仕入金額の認定

1、被告人が営むマツナガ機工の現金出納については、竹山次郎が記帳していた金銭出納帳のであるが、これは別表1記載のごとく、昭和四九年中の現金支払分金七、六一七、一三七円のうち、金三、二二六、〇〇一円しか記載されておらず、現金支出分として判明しているうちの四二パーセントしか記帳されておらず、マツナガ機工の金銭出納の状況を明らかにする資料として役立たないことは明らかである。

また、領収証・請求書・納品書などの証拠書類についても別表2記載のごとく完全に保管されておらず、これらの資料が存する割合は支払総額の半分にも充たない状況である。

この様な状況のもとで、所得を実額によつて認定することは不可能である。

2、しかるに、原判決はマツナガ機工の仕入金額を算出するにつき、竹山次郎が作成した上申書に基づいて作成したと称する調査報告書によつて、これを認定している。

しかし、右調査報告書の基礎となつた竹山上申書は捜査当局が収集した証拠資料に基づいて作成されたものであり、証拠資料が存在しないものについては、何ら考慮されていないのである。

第一番に於ける証人川上栄一は前記竹山に対し、帳簿とか関係書類を見せずに右上申書を作成してもらつた旨証言しているが、四〇数社にわたる取引先との取引金額を何の資料もなしに解明することは、余程の記憶力が良い人であつても不可能に近いと言わざるを得ない。いわんや、竹山次郎は前述したとおり金銭出納帳すら満足に記帳することができない杜撰な人物であつて、この様な人間が一つ一つの取引内容を明確に記憶していたなどとは到底考え得ないことである。

これは取引先に電話照会する程度で明らかになる様なものではない。要するに、竹山は帳簿に記載されたものとか証拠書類が存在するものに基づき、前記上申書を作成したものである。ということは、これらの資料が存在しない取引については何ら記載がないことになる。

ところが、前述したとおり、唯一の帳簿である金銭出納帳にはつけ落ちがあり、領収証等の証拠書類の保管状況が不備で紛失しているものがあるのであるから、右上申書に記載漏れがあるのも当然のことである。にも拘わらず、第一・二審とも弁護人の主張する経費について証拠が存在していないということで、右上申書及び調査報告書に記載された経費以外を認定しようとしない。しかし、板倉証人が指摘する様に、「いろいろ証拠になるものがなくなつていると、それだから被告人の方に不利益に認定してもかまわないということにはならない」のである。

従つて、この様な場合にこそ財産増減法による検証をなし、被告人の所得金額を認定する必要があるのである。そのうえで、弁護人の主張する経費の不存在を明らかにすべきであろう。しかるに、原判決では、証拠がないということだけで一切の経費を否定している。この様な認定方法は、何ら合理性がないのである。

二、清水孝に対する特別慰労金の支払

これについても、原判決は経費性を否定している。そして、その論拠として清水孝が退職金の前払である旨証言したことと、被告人が「退職金の形にもなるかと思う」旨供述していることをあげているが、経理処理について専門的知識を有していない両名がこの様な発言をしたからと言つて、これを以つて退職金の前払であると認定すること自体問題である。要は、清水孝に支払われた一、〇〇〇万円がいかなる状況のもとで支払われたかその実態に基づき判断すべきである。

このことは板倉証人も明言しているところである。

そこで、右一、〇〇〇万円が支払われた背景であるが、それは清水孝がナショナル会館を辞めたいという意向をもらしたため、被告人としては今辞められては困るということで、清水孝を引き止めるということで支払われたものでる。このことは、清水孝の証言及び被告人の供述から明らかである。右一、〇〇〇万円はこの様な状況のもとで支払われたものであるから、当然必要経費とすべきである。しかるに、原審は、経理知識に乏しい者の不用意な供述を論拠として、退職金の前払ということにして経費性を否定しているのである。これでは、「疑わしきは被告人に不利益に」ということにならざるを得ない。

三、また、スポートセンターに対する売上についても、原審はこれを昭和五〇年の貸倒れ損と認定せず、これを昭和五一年の経費とすべき旨認定している。しかし、右スポートセンターに納入したパチンコ玉自動補給装置は証人竹山次郎が証言しているごとく、納入当初から故障が多く、同人が何回も修理に行ったが、使いものにならず、結局これを撤去せざるを得なくなつたのであつて、いわゆる欠陥商品であつて、当初から代金債権として請求できないものであつた。

板倉証人も、元来欠陥商品であつたという実態があれば、「課税所得としては、ともかくとして、実額によらなければならない刑事事件の逋脱所得の認定については、当然に考慮すべきだ」と証言されているところである。しかるに、訴を提起し、勝訴判決に基づき強制執行をなし、執行不能となつたことだけで、納品年次の必要経費性を否定することは不当である。

被告人はスポートセンターから商品の欠陥に基づく損害賠償請求権を行使されることをおそれ先制攻撃として訴を提起したにすぎないのである。従つて、訴提起を以つて経費性を否定することは間違いである。万一、昭和五〇年に於ける経費性が否定されたとしても、被告人は昭和五〇年の税務申告に際し、スポートセンターの売掛金の回収ができず、損金として処理し得ると判断していたのであるから、右売掛残代金分一、六三〇万六、〇〇〇円については逋脱の犯意を欠きこの分だけ、脱所得から除くべきである。本件起訴は、右回収不能が明らかとなつた以降のものであるから、この点について充分なる配慮をしたうえ、為すべきであつた。

四、マツナガ機工のニューキングに対する売上金額

マツナガ機工がニューキングに対し、パチンコ玉自動補給装置を売却した代金について、これを一、一二〇万円と認定している。そして、その論拠としてニューキングの帳簿等の記載から証拠上明らかであるとしている。しかし、これらは買受人側の資料であつて、売主側の資料としては何一つ存在しない。

この様な場合、買受人側の資料に記載された金額が合理的であるか否か検証すべきである。

この点については、他の取引先の価格との比較、証人竹山次郎の証言等によつて明らかなように、右記載金額に合理性がないこと明らかである。一般に、買主側は商品価格を高くして、その経費を多くしたいと考えることはあり得ないことではないのであるから、買主側の帳簿のみによつて、売買代金額を認定することは、片手落ちである。

五、本町苑の賃料支払

被告人が営む本町苑について、その賃料を昭和四九年八月から一カ月金一〇万円の割合で支払うことになつている(名古屋高等裁判所昭和五二年(ネ)第二七号事件につき、昭和五三年一一月一三日成立した和解調書第八項)。この点について、すでに和解調書を証拠として提出しているにも拘わらず、事実認定をしていないことなどは、原判決の事実認定がいかに安易であるかを物語っている。

六、清水孝に対する配当金の支払

この点については、第二審に於ける弁護人の弁論要旨に詳述したとおりであるが、原判決は弁護人が提出したナショナル会館の金銭出納帳が当時作成されたものではなく、後日一定の意図のもとになんらかの資料に基づき作成されたものである疑いが強いとしてその証拠価値を否定している。

しかし、右金銭出納帳は、堀内利是が当時作成したものである。

原判決は、堀内が検察官に対する取調について、出納帳について触れていないことを指摘するが、これは出納帳について質問されなかつた為であるし、また出納帳と銀行預金口座との数字の相異についてもむしろ後日作成されたものであるならば、数字を一致させる工作をし、その整合性を保つことはできたのであるが、その様な工作をしなかつたからこそ、違つて来ているのであり、このことは、右出納帳が当時作成されたことを物語るものである。

更に右出納帳の発見の経緯等についても不自然であると指摘されているが、これも事実である以上止むを得ないことである。原判決の様な採証の仕方は、被告人に対し偏見を以つて心証形成をしているとしか言い得ない。

右出納帳の末尾には、筆蹟の異なつた記載がなされているが、これは堀内が退職後、清水孝若しくはナショナル会館の事務員が補充して書き込んだものであつて、これこそ右出納帳が当時作成されたことを明らかにするものである。

尚、付言するに、右出納帳は証拠として提出する前に、その原本を検察官に手渡し、検察官に於いて科学的検査をしたのであるが(文字の内、一部薄くなつているのは検査のためである。)、それによつても後日作成されたものであるとの反証を出すことはできなかつたのである。

従つて、右金銭出納帳は、当時作成されたものであることは間違いのないところである。

よつて、右出納帳に基づいて清水孝に対して支払われた額を認定すれば、少なくとも昭和四九年で二五〇万円、昭和五〇年で一六〇万円がそれぞれ支払われたことになるのである。

これを全く無視した原判決の事実認定は、誤りである。尚、この支払額が仮りに経費として認定し得ないとしても、被告人は共同経営者たる清水に配当金を支払つたと認識し、当然経費となるものと意識をもつていたもので、被告人の逋脱所得を算出するについて、これらの支払額を差し引いてなすべきである。

七、ニューキングからの給与所得

この点についても、第二審に於ける弁護人の弁論要旨に詳述したとおりであるが、特に、昭和五〇年四月一八日から同年一二月末日までの間については、これを直接裏付ける証拠書類は存在せず、ただ堀内・神谷の供述調書のみである。これらの供述調書に信用し難いことは、弁護人が従前から述べていたところであつて、その後、第二審に於ける近藤弘の証言・北伊勢信用金庫中部支部作成の回答書並びに前記金銭出納帳を総合すれば、少なくとも前記期間中被告人がニューキングからいかなる名目によるも金銭を受け取つていなかつたことは明らかなのである。

原判決は、弁護人の主張について判断することなく、ただひたすら独自の判断を示すのみである。弁護人の主張を充分に検討されたならば、堀内・神谷の検面調書に信用性がなく、第二審で取調べた近藤弘の証言・被告人本人質問の結果、北伊勢信用金庫作成の回答書が信用し得ること明らかである。

この点に於いて採証法則を誤り、事実誤認を犯しているのである。

以上

別表1

金銭出納帳記載状況(昭和49年)

〈省略〉

〈省略〉

別表2

仕入金額認定資料分析表

〈省略〉

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